受け継がれる文化

葛原正八幡宮 南獅子組
葛原正八幡宮 南獅子組

 

上の写真は、葛原4組の中の1組、葛原正八幡宮 南獅子組さんです。
4年ほど前に、南獅子組さんの獅子舞で篠笛が復活したことをブログで書かせてもらいましたが、昨年の秋祭りで、ふと目にした光景に思わず見入ってしまいました。

 

葛原正八幡宮 南獅子組
葛原正八幡宮 南獅子組

 

復活した当初は、1人の方がずっと篠笛を吹いていましたが、今では子供達も一緒に吹いています。
元はあったものが途絶え、それから復活したということにも大変驚かされた出来事でしたが、復活した篠笛も今では定着し、こうして受け継がれていることにすごく感銘を受けました。

ここ数年、活動をしていてよく思うことは、昔の人達が築き上げたものは凄く粋であり、かっこいいということです。
それには必ず何かしらの意味があって、今を生きる私達に受け継がれています。

それらを無くすことは簡単ですが、受け継がれてきた文化を大切にすることは、どれだけ大変で大切なことかと最近よく考えます。

受け継がれてきた文化も、時が経てばその意味合いもわからなくなります。

意味合いがわからないものでも、なぜそれをしているのか、逆にこうであろうと仮定をつけて考えてみるのもいいかもしれません。

そうしたちょっとした思いが、次へと繋がる道になるのだと思います。

今回の出来事は、こうして文化は受け継がれていくんだと実感した瞬間でもありました。

管理人自身も、次の世代に残せるようなことをしていきたいと思います。

まだまだ頑張らないと(笑)

 

↓以前、南獅子組さんをご紹介したブログ記事はこちら
途絶えた伝統文化の復活

 

 

本祭り[ 葛原正八幡神社 秋季大祭 2016 ]

 

「氏参り」「村遣い」と2日間続いた獅子舞も、3日目の「本祭り」で最終日を迎えます。
3日目も早朝からのスタートですが、葛原正八幡神社の本祭りは12時頃から始まります。

 

葛原正八幡神社 沿道
葛原正八幡神社 沿道

 

今年の本祭りは、天気が危うい感じの空模様

 

大木獅子組 出発前
大木獅子組 出発前

 

なんとかもって欲しいと願いつつ、みんなで葛原正八幡神社へ

 

金曜日の夜から、ずっと動きっぱなしですので体の疲れもピークを超えているはずですが、不思議と本祭りの時は、ちょっとした高揚感に包まれます

これも祭りマジックでしょうか?(笑)

神事が始まり、そこから葛原の獅子組4組での一斉演舞が始まります。

 

南獅子組
南獅子組

 

今年は、南獅子組さんが先頭ですので、南獅子組さんから音が鳴り始めます。

 

北獅子組
北獅子組

 

次は、北獅子組さん。

 

西獅子組
西獅子組

 

その次は、西獅子組さん。

 

大木獅子組
大木獅子組

 

そして最後は、大木獅子組。

順番に音が重なっていく形で、それぞれの組で獅子舞が始まり、最終的には一斉演舞となります。
1回目が終われば、次は別の獅子に替え2回目の演舞です。

神社での演舞が終われば、次はお旅所まで行列を作っての移動です。
その間でも、4箇所で2回獅子舞をします。

今年は、天気がもつかもたないかという微妙な天候でしたので、途中、パラパラと小雨が降ったりと、てんやわんや

進行を前倒しにしたりと、例年通りにとはいかなかったですが、それはいっときのことでしたので、帰りの行列ではいつも通りのお祭りとなりました。

天候に振り回されながらも、、、

 

大木自治会長さん

 

大木自治会長さん

 

大木獅子組

 

最近は、あまり獅子を振らなくなったお兄さんも笑顔で獅子舞。

 

大木獅子組

 

兄弟で太鼓打ちをしたり、、、

 

大木獅子組,南獅子組

 

南獅子組さん、大木獅子組で仲良く写れば、

 

大木獅子組

 

大木獅子組の先輩、後輩でも仲良くパシャリ。

 

大木獅子組

 

親子で笑顔の1枚もあれば、

 

同級生

 

南獅子組、北獅子組、西獅子組の同級生組も笑顔でパシャリ。

 

みんなが笑顔で楽しめた祭りだったと思います
そうした中で、将来の担い手達も大人に混じって頑張っていました

 

西獅子組 将来の担い手
西獅子組 将来の担い手

 

西獅子組さんのお子さんが自前の獅子で振っていると思えば、

 

大木獅子組 将来の担い手
大木獅子組 将来の担い手

 

隣りの大木獅子組の子供も、自前の獅子で振っています。

 

大木獅子組

 

まだ太鼓打ちをする年齢にはきていませんが、お父さんと一緒に太鼓打ちをするそんな光景も見られました。

年に一度のお祭りですが、昔と違い人手不足や子供が少ないなどの現状があります。
しかし、3日間を通して真剣に奉納をする姿や、楽しんでいる姿、頑張っている姿を、子供達はいつも見ているのかなと今年のお祭りで感じました。

 

葛原正八幡神社 秋季大祭2016
葛原正八幡神社 秋季大祭2016

 

僕たちが頑張っている限り、次の世代へとバトンタッチはできると思いますので、また来年もいいお祭りにしたいと思います

また1年後ですね(笑)

 

 

葛原にもあったかもしれない『だんじり』文化

前回の記事でもご紹介した、
南獅子組さんの蔵で見つけた古い獅子頭。
まだその続きがありまして、、、
古い獅子頭だけでなく
まさか葛原にもあったなんてsign01
というものが、南獅子組さんの蔵で保管されていました。
南獅子組の蔵に保管されている「だんじり」
そう『だんじり』ですsign03
原型を保たれている状態ではありませんでしたが
人一人は乗れるほどの大きさはありました。
もしかしたら、このだんじりが使われていた頃は
中に人が入って、鉦もしくは太鼓を叩いてたのかもしれません。
そして、さらに目に入ってきたものが、、、
南獅子組の蔵に保管されている「だんじり」
「豊原」という文字。
多度津町は、「多度津」「豊原」「四箇」「白方」の区域に分かれていまして
葛原は、「豊原」の区域にあります。
母校の小学校も、「豊原小学校」という名称ですので
葛原の人間にとっては慣れ親しんだ文字。
今は、葛原、その近辺も含めて区域として「豊原」と呼ばれているので
住所として使われていない呼称です。
なので、現在、多度津町の区域の呼称として使われている「豊原」という文字を、葛原のお祭りで使われていたというのが不思議で、気になったので少し歴史を調べてみました。
多度津町葛原は、大昔は多度郡葛原村と地域名でした。
1890年(明治23年)の町村制施行に伴う合併により、葛原村、周辺の村も含めて豊原村が発足。
1942年(昭和17年)仲多度郡多度津町に編入され豊原村廃止。
「豊原」は、実際に地名として使われてた時代があったみたいです。
ということは、このだんじりは、
明治23年の発足から、昭和17年に豊原村が廃止されるまでの間に
どこかしらの時代で使われていたのかもしれません。
もしそうであれば、だんじりに「豊原」という文字が入っているのも
少し納得もできます。
う~ん、、、相当古いだんじりということか、、、
ほんと過去へ時間旅行ができるのなら
使われていた当時のお祭りを見てみたいsign03
と、思った今回の出来事でしたw
しかし、、、
ここまで「だんじり」に食いついたのは
これまで見てきたという過程もあったからかもしれません。
写真活動の傍ら、たくさんのお祭りを見に行っていると
獅子、太鼓台やちょうさ以外にちょくちょく目にするのが『だんじり』です。
訪れた先々で、現地の方とお話をする機会もあるのですが
昔はあったんだというお話も聞いたことがありますし
もしかしたら、今よりも『だんじり』の文化が香川県中で見られたのかなと思います。
昨年、坂出市林田町にある「総社神社」で見た獅子だんじり。
『だんじり』【総社神社 坂出市林田町】
だんじりに獅子頭が付いているという衝撃的な姿に大興奮(笑)
『だんじり』【総社神社 坂出市林田町】
その地域の方にとっては、当たり前の文化だと思うのですが
僕にとっては珍しい文化。
思わず写メを撮っちゃいましたw
そして、坂出市瀬居町にある「瀬居八幡神社」の秋祭りにも「だんじり」がありました。
『だんじり』【瀬居八幡神社 坂出市瀬居町】
瀬居本浦獅子連中の方に聞いたところ、一度は途絶えてたそうで
眠っていた「だんじり」を復活させ、現在、秋祭りでは欠かさず出しているそうです。
『だんじり』【瀬居八幡神社 坂出市瀬居町】
このように坂出市、他の地域にも「だんじり」を目にしてきたので
南獅子組さんの蔵で保管されていた「だんじり」を見た時は
かなり食いついて見てたと思います(笑)
葛原のお祭りは、もしかしたら今よりももっと派手だったのかもしれないよなぁ。。。
地元の歴史を知るというのも、大切なことかも知れないと最近よく思います。
もし葛原の古い写真や映像をお持ちの方がいらっしゃいましたら、
情報をお待ちしております(笑)