多度津町葛原のお祭り – 香川県の獅子舞 –

 

幟

 

朝、起きると家の前には大きな幟が立っています。
この幟を見れるのも、祭りが始まるまでの1週間程ですが、朝起きてこの幟を見るのが、毎年の楽しみにもなっています(笑)

9月末から各地で秋祭りが始まっていますが、多度津町葛原も、今週末の金曜日の夜18時から日曜日にかけて始まります。

前回の記事では、中讃地域の獅子舞文化について少し書きましたが、次は各地へ巡って気づいた地元葛原のお祭りについて書いてみようと思います(*^^*)

多度津町葛原は、多度津町でも端にある地域です。
善通寺市、丸亀市のすぐ隣りになりますので、祭り時期になると善通寺市金蔵寺町や、丸亀市金倉町から太鼓や鉦の音が聞こえてくるほどです。

 

葛原正八幡神社
葛原正八幡神社

 

そんな端にある葛原正八幡神社は、多度津町内にある神社の中でも敷地も広く大きな神社です。

秋祭りも、南獅子組、北獅子組、西獅子組、大木獅子組の4組の獅子組が奉納をし、現在は少なくなっていますが、管理人が子供の頃は沢山の天狗、烏天狗のダカ達もいました。
(ダカのことが相当好きなとある男性が頑張って、葛原のダカ文化を盛り上げようと頑張ってくれています(笑))

 

多度津町葛原の秋祭り(1970年頃)
多度津町葛原の秋祭り(1970年頃)

 

神社から御旅所までの道のりを長い行列を組んで進んでいく光景は今も見られます。
葛原は、多度津町の中でも大きな祭りをしている地域かもしれません。

なぜ多度津町の中心から離れている地域で、比較的に大きな祭りをしているのでしょうか。

その昔、管理人の父親が子供の頃、神社の湧き水で泳いでいたと聞いたことがあります。

実際に、葛原正八幡神社の森と涸れることのない泉を指して「葛原は森八町、池八町」と呼ばれていたそうです。
殿涌(とのゆ)、鬼涌(おにゆ)、皿涌(さらゆ)の3つの湧水があったと言われています。

水があるところには人が集まり、人が集まれば発展をする。

そして多度津町は、江戸時代には金刀比羅宮参拝の玄関港として栄えていた歴史もあり、四国の鉄道の発祥の地として人の集まる場所でもありました。

葛原正八幡神社は、「第76番札所 金倉寺」から、「第77番札所 道隆寺」への遍路道沿いにある神社です。
多度津町からの金刀比羅宮参拝と、お遍路道と人の流れがあったと思われます。

ある書籍に、神社のある八幡(やはた)は宿場町として賑わっていたと書かれていました。
そして、小学校もあったそうです。
八幡の現在の狭い街並みは、その名残が残っているのかもしれません。

葛原の祭りや行列などの神事を見ていると、善通寺市の中でも比較的に獅子組が多い神社の祭りと似ているような気がします。

人の流れがあれば、少なからず影響もあったと思われますし、水の恩恵を受けている場所であれば、祭りに対しての意識も高かったと思われます。

 

なので、葛原は多度津町でも端にありながら、大きな祭りをしていたのではないか。

 

というのが、管理人の勝手ながらの憶測です(笑)

 

 

ただこれだけいえることは、それだけ歴史のある場所で祭りができることや、人手不足等で少しずつ変わっていってるところがあるとはいえ、今でも変わらず形式を変えずに祭りが行われていることに誇りを持つことも大切なのではないかと思います。

各地の神社へ訪れ、その地の祭りを見なければ疑問に思うこともなかったであろう葛原の秋祭り。

知れば知るほど奥深さを感じる地元の祭りです。

今の神事を壊さず、みんなで大切にしながら盛り上げいくことが、外から来る人にも見せれる立派な祭りができるのではないかと思います。

個人的には、大木獅子組の獅子舞もこだわりを持って、まだまだ追及していくことも管理人の目標ではありますが(笑)

もうすぐで、年に一度のお祭りです!

今年も頑張ります(^^)/

 

 

秋祭りの練習が始まりました

 

管理人が住んでいる場所は、ちょうど地域の境に位置するところにありまして
この時期になると、家に帰ると周辺地域から太鼓や鉦の音が聞こえてきます(*^^*)

思わず立ち止まって聴いてしまいます(笑)

大木獅子組も、9月初めの週末から練習が始まりました。

 

大木獅子組秋祭りの練習2017
大木獅子組秋祭りの練習2017

 

今年の太鼓ぶちは、久しぶりに初めての子供を含めた練習となっています。
最初の練習では戸惑っていた子も、気づけば一通りできるようになっていたりと、覚えの速さに大変驚かされています。

そして、昨年から引き続き太鼓ぶちをしてくれる子供達も、真面目に練習に取り組んでくれています。
以前の幼さもなくなり、成長している姿にちょっとしみじみ(笑)
少しずつ大人へと成長していってるんでしょうね。

ということで、秋祭りへ向けて始動した大木獅子組。

今年の秋祭りは、10月第3週目の13日(金)~15日(日)です。
天気にも恵まれた祭りになるように祈るばかり!

引き続き練習頑張っていきます!(^^)

↓葛原正八幡宮秋祭りの日程はこちら
https://sanuki-shishimai.info/schedule/

 

 

押し入れから出てきた年代不明の品々

 

道具の収納をしやすくする為に、会場で整理をしていた時のこと。
現在のメンバーでも目にしたことのなかった年代物の品々が出てきました。

「幟」

案内幟
案内幟

左の赤の無地の幟は、先代の幟。
この幟は、僕が小学生の頃にも使われていた物で十数年前までは使われていました。

そして、右側は今回出てきた幟。
先代のよりも大きく刺繍入り、しかも重い!
まさか先代よりも、派手目な幟だとは思いもしなかったので驚きました。

写真では伝わりづらいと思いますが、これらの幟は竹を通して設置すると家の1階部分は超える大きさになります。

幟文化については、以前のブログでご紹介しましたので、よければこちらをご覧ください。

『幟(のぼり)文化 Part.2』
http://sanuki-shishimai.info/blog/2016/08/26/%E5%B9%9F%EF%BC%88%E3%81%AE%E3%81%BC%E3%82%8A%EF%BC%89%E6%96%87%E5%8C%96-part-2/

 

「太鼓ぶちの着物」

太鼓ぶち(着物)
太鼓ぶち(着物)

この着物は、上の年代の方にも聞いてみましたがわからないということでした。
太鼓ぶちの着物は、女性が着る着物のように綺麗な柄の入った着物のイメージが強かったですが、過去には渋めの着物の時代があったんだと歴史を感じました。

少し気になるのは、お隣りの多度津町南鴨の加茂神社で行われる秋祭りで、着物を着た小学生が鉦を叩いているのですが、その小学生の格好と似ているなと思ったことです。

葛原と南鴨とでは、祭りの文化を見るとあまり繋がりはなさそうにも思えるのでたまたまかもしれませんが。

 

「油単」

油単(年代不明)
油単(年代不明)

とても小さい!!
その小ささには大変驚いたぐらいです。

昔は、今のような武者絵などの派手目なものではなく、このような柄の油単が多く使われていたそうです。
僕が生まれる前に父親が撮影した祭りの写真に写っていたのは、確かにこのような油単の柄が多かったと思います。
上の年代の方からすると、この小さな油単から僕達が慣れ親しんでいる油単に変わった時は、とても大きくなったと感じたそうで
そこは世代間ギャップなのかなと思ったりもしました(笑)

今は使われなくなった道具達ですが、こうして目にすると先代の人達が繋げてきて今があるのだなと改めて実感します。

その時代時代で、周りの環境は変わっていくと思いますので、どの世代でも時代に合わして変えていった部分もあると思います。
それでも、先代達が積み上げてきたものや守ってきたものは、崩さないように守っていくことも大事なのかなと思います。

古くから残る文化を長く守ってきたものほど、壊れるのは簡単だといいます。

何を大切にして、何を変えていくのか間違えないように、歴史や文化を知ることも必要なのかなと感じた今回の出来事でした。