地元葛原のお祭りでは、幟は欠かせない物の1つです。
幟は、祭りの3日間ずっと出しっぱなしで、本祭りもそうですが、地域の家々を回る「村遣い」の時にも必ずあります。
太鼓打ちの頃、次の太鼓を叩く家まで、幟を目印に引率の大人と一緒に向かってたのが思い出されます。
幟文化は、多度津町にも見られますし、お隣りの善通寺市にも見られるもので、主に中讃地域に多く見られる文化です。
ですので、祭り時期には周辺地域でも見かけるものでしたのでこれが普通だと思っていましたが、写真活動をし始めて東から西へと行くようになって、少し離れた地域からは幟がないことに気づかされました。
葛原では、村遣いの時は獅子舞をしている家に置いておくのではなく、先に次の家へと幟を持って行って立てかけておきます。
それを目印に獅子舞が終わると次の家へと行きます。
そして獅子舞が始まりだすと、また幟は次の家へと持って行きます。
大木獅子組の場合は、夜になると見えなくなるので、薄暗くなってくると幟から少しだけ長さが小さめの竿の先に「提灯」を付けた物に変えます。
これは葛原でも、他の組にはなかったりするそうなので、葛原全部の組がそうしているわけではなさそうです。
四国民族学会理事の水野さんという方と、縁があって知り合うことができたのですが、「村遣い」の時に幟を持って家々を回っていくのは多度津町ぐらいしかまだ見たことがないそうで、もしかしたら多度津町の独特な文化なのかもしれません。
小さい頃から慣れ親しんでいた幟。
大きなもので持ち運ぶのもけっこう手間ではあるのですが、幟を使った文化が、実は地元とその周辺しかないというのを聞くと、大切に守っていかないといけないものだったんだと少し誇らしくも思えます。
このことは、次の世代へにも守ってもらうよう、今から子供たちに伝えていかないといけないですよね