葛原正八幡宮のとんど焼き – 2018 –

 

とんど焼き2018 [ 葛原正八幡宮 ]
とんど焼き2018 [ 葛原正八幡宮 ]

 

1月のお話になりますが、今年も葛原正八幡宮のとんど焼きへ行きました。

1月1日は、初詣。
1月中旬は、とんど焼き。

管理人にとって、1月中に葛原正八幡宮へ行くのが、毎年恒例となっています(*^-^*)

 

とんど焼き2018 [ 葛原正八幡宮 ]
とんど焼き2018 [ 葛原正八幡宮 ]
とんど焼き2018 [ 葛原正八幡宮 ]
とんど焼き2018 [ 葛原正八幡宮 ]
 

お正月飾りの門松、しめ縄、古い御札などを持ってくる人や、お参りに訪れる人。
お餅や小豆がゆのお接待があったり、少しずつ年を重ねるごとに、賑やかになってきているような気がします。

そして、今年は葛原4組の内の1組、西獅子組さんの獅子舞奉納もありました。

 

とんど焼き2018 [ 葛原正八幡宮 ]
とんど焼き2018 [ 葛原正八幡宮 ]
とんど焼き2018 [ 葛原正八幡宮 ]
とんど焼き2018 [ 葛原正八幡宮 ]
 

獅子舞を見ていると、近くにいた方が、

「太鼓や鉦の音が聞こえるから来てみたんやが」

と、そんなお話も耳に入ってきました(笑)

 

とんど焼きは、お正月に迎えた神様をお送りする、家内安全や一年の無事を祈るなどの意味合いもあるそうです。

こうして地元の方が集まることで、地元の神様も喜んでくれているのではないでしょうか(*^^*)

 

とんど焼き2018 [ 葛原正八幡宮 ]
とんど焼き2018 [ 葛原正八幡宮 ]

 

もうすぐで、暖かい季節が訪れようとしています。
葛原正八幡宮の桜の木が満開になる頃、またお参りに来ようと思います(*^-^*)

 

多度津町内の神社を自転車で巡る

 

2月後半も寒波が続き寒い日が続いていましたが、3月に入って一気に気温が上がってきました。
3月初旬の日曜日は、ポカポカ陽気(*^-^*)

青空が見える快晴に、

よし!神社を巡ろう!

と思い立ち、カメラバッグを背負って、多度津町内で秋祭りが行われている神社を巡る旅にでました(笑)

 

加茂神社 [ 多度津町南鴨 ]
加茂神社 [ 多度津町南鴨 ]

まずは、葛原のすぐお隣りの南鴨にある「加茂神社」。

南鴨、北鴨の産土神を祀った神社で、「南鴨念仏踊」と呼ばれる神社に奉納する雨乞い踊りは、県指定文化財にもなっています。

南鴨念仏踊は、加茂神社で奉納される踊りですが、遥か昔には多度津、堀江、北鴨、葛原の各神社でも奉納をされていた記録が残っているそうです。

また神社に建てられている記念碑には、「今から二百六十余年前多度津藩の許可を受け南加茂村は水路を造って上葛原村の泉から水を引き田畑に灌漑していた。」と書かれています。

葛原の泉から引いていたというのは、もしかしたら葛原正八幡宮に湧いていた湧き水の池のことを指しているのかもしれません。

そして、その次に訪れたのは、、、

 

弘浜八幡宮 [ 多度津町堀江 ]
弘浜八幡宮 [ 多度津町堀江 ]

さぬき浜街道沿いの近くにある「弘浜八幡宮」。

弘浜八幡宮は、延久五年(1073年)八月、道隆寺第十二代祐禅が勅を奉じて勧請した八幡宮五社の一つです。
葛原正八幡宮も、八幡宮五社の一つに当たるのですが、弘浜八幡宮と葛原正八幡宮は同じ時期に創建されたそうです。

そして、その次に訪れたのは、、、

 

家中天満宮 [ 多度津町家中 ]
家中天満宮 [ 多度津町家中 ]

江戸時代、多度津藩の家臣が住む武家屋敷町でもあった多度津町家中にある「家中天満宮」。

神社の境内にある記念碑には、「寛永十二年九月(一六三五年)堀江より遷座して土地の産土神になったが、その頃の家中は新町村と呼ばれ、砂地の不毛の土地だったという。九十八年後の文政六年(1733年)の早魃に南鴨の念仏踊がこの境内で奉納され、その後各地に雨が降り、田は潤ったと記録に残っている。」
と、書かれています。
堀江とも縁があり、まさか最初に訪れた加茂神社の念仏踊のことがここで出てくるとは思ってもみなかったので大変驚きました。

そして、その次に訪れたのは、、、

 

蛭子宮 [ 多度津町東新町 ]
蛭子宮 [ 多度津町東新町 ]

港の近くにある蛭子宮。

蛭子宮では、漁船に神輿を乗せ、港内を巡幸して豊漁を祈る秋祭りが行われています。
多度津町では、唯一の漁船が出る秋祭りです。

そして、その次に訪れたのは、、、

 

白髭神社 [ 多度津町本通 ]
白髭神社 [ 多度津町本通 ]

多度津山の東側にある「白髭神社」。

本殿から、多度津町街並みを一望でき、その先には瀬戸内海が広がっています。
海上交通の神として祀られているとして、他サイトで紹介されているのを見ましたが、本殿からの景色を見ていると、海を見守っているというのも頷けます。

そして、今回の自転車旅の最後に訪れたのが、、、

 

庄天満宮 [ 多度津町大字庄笠屋 ]
庄天満宮 [ 多度津町大字庄笠屋 ]

「庄天満宮」。

庄天満宮では、「笠屋天満神社子供馬」と呼ばれる子供馬が県指定文化財に選ばれています。

神社の境内には、「菅原道真が讃岐国司であったとき、国内巡見の際にこの地に訪れ、里人が馬形を作って迎えたという伝説に端を発します。」と記載されている看板があり、子供馬の文化が生まれた歴史を知ることができます。

現在も、秋祭りには行われている行事の一つで、本殿の前で、張子で作られた子供馬を身に着けた子供達が輪になって回ります。
天狗、烏天狗も、子供達の輪に入って、斧にまたがって一緒に回ります。

管理人も初めて見た時は、こんな文化もあるんだと思わず見入ったほどです。

以上、今回は6つの神社を巡りましたが、旅の合間にはこんな出会いも、、、

 

蛭子宮で出会った猫ちゃん
蛭子宮で出会った猫ちゃん
白髭神社で出会った猫ちゃん
白髭神社で出会った猫ちゃん

 

癒されました(笑)

また春の訪れを感じさせる光景も、、、

 

家中天満宮 [ 多度津町家中 ]
家中天満宮 [ 多度津町家中 ]

 

花も咲き始めていました(*^^*)

 

猫と戯れながらの一人自転車旅もなかなか面白かったですが、まったく違う秋祭りをしている地域でも、神社の歴史で見れば何かしら繋がりがあったりと、これまで知らなかった発見があってとてもいい旅になりました。

祭りだけでは分からないことを知ることで、また違った角度から地元の祭りや、各地の祭りを見た時に色々と気づくこともあるかもしれません。

色んな意味で、管理人にとってはいい発見だったと思います。

まだ、多度津町内で秋祭りが行われている神社を全て巡れていませんので、また次回巡りたいと思います(^^♪

 

 

古き獅子頭

 

香川県の獅子頭で多く見かけるのは、三豊市の「丸岡」さん、善通寺市の「松下」さん、高松市の「宮武」さんの工房で制作された獅子頭です。

善通寺市の松下のおっちゃんから、よく若い頃のお話を聞くことがあるのですが、そのお話を聞いていると、昭和時代にそれぞれの職人さん達が活躍したことで、3つの代表的な屋号を持つ獅子頭ができていったのかなと感じます。

 

獅子舞 [ 香川県仲多度郡まんのう町 ]
獅子舞 [ 香川県仲多度郡まんのう町 ]

 

ただその中でも、どこの獅子頭か判別がつかない獅子頭と出会うことが、稀にあります。
それらの獅子頭は、見ただけでも古そうな獅子頭。

丸岡さん、松下さん、宮武さんの獅子頭の型に当てはまらない獅子頭もあれば、どことなく宮武さんかな?と、似ているような獅子頭もあります。

これまでの活動で耳に入ってきたのが、丸亀市と高松市春日町伏見にいたといわれる職人さんです。

いたということだけで、詳細までは情報が入ってこない謎多き職人さん達。
情報があまりないということは、相当古い職人さん達だったのかと思われます。

前回のブログ記事でも紹介をした、顔の長い獅子頭を持つ、

 

葛原正八幡宮 北獅子組
葛原正八幡宮 北獅子組

地元葛原の北獅子組さん、

 

葛原正八幡宮 南獅子組
葛原正八幡宮 南獅子組

ボロボロでしたが蔵から出てきた南獅子組さん、

 

十五町獅子組 [ 善通寺市 ]
十五町獅子組 [ 善通寺市 ]
元の獅子頭を参考に、新調された善通寺市十五町獅子組さん、

 

共に出所が不明の獅子頭ですが、若干の違いはありつつも顔つきが同じで、こうも近い地域で残っているということは、昔にいた同じ職人さんが手掛けたのではないかと想像ができます。

だとすると、共に隣りの地域に当たる丸亀市の職人さん?

と思ったりもするのですが、確証がない為、そうだったのかなぁ??と考えることしかできません(^^;)

 

逆に、少しはっきりとしている情報があるのは、高松市春日町伏見にいたといわれる職人さんです。

話を聞く限りでは、高松市春日町伏見の工房から派生したのが、高松市の宮武さんだそうです。

以前に、職人さんの工房で見かけたとある古い獅子頭。

あまり見ない型だなと思いつつも、その形状から宮武さんかな?と思っていたのですが、職人さんに聞くと伏見で作られた獅子頭という返答でした。

まさかこんなところで、伏見で作られた獅子頭と出会うなんて!と驚いていると、

 

亀田獅子連[ 高松市 ]
亀田獅子連[ 高松市 ]

 

獅子頭の内側に実際に、伏見と記述されていました。

この獅子頭は、高松市十河地区の亀田獅子連さんが所有されている獅子頭です。

見た感じはとても古い獅子頭。

修理されるということだそうなので、どのように綺麗になるのか気になるところです(#^^#)

しかし、当初は宮武さんかなと勘違いしたのも、宮武さんが伏見から学んだと考えると、似ているというのも納得できるお話です。

 

数は少ないながらも、こうして現在も使われ残っている姿を見ると、当時はどのような獅子頭が出回っていたのでしょうか。

それらの獅子頭は、もしかしたら練習用に使われていたり、南獅子組さんのところのように、どこかの蔵や倉庫に眠っている可能性も考えられます。

いつか出会うことがあればいいなと期待を膨らませ、また新しい獅子頭との出会いや祭りを求めて、2018年も各地域を回りたいと思います(*^-^*)