受け継がれる文化

葛原正八幡宮 南獅子組
葛原正八幡宮 南獅子組

 

上の写真は、葛原4組の中の1組、葛原正八幡宮 南獅子組さんです。
4年ほど前に、南獅子組さんの獅子舞で篠笛が復活したことをブログで書かせてもらいましたが、昨年の秋祭りで、ふと目にした光景に思わず見入ってしまいました。

 

葛原正八幡宮 南獅子組
葛原正八幡宮 南獅子組

 

復活した当初は、1人の方がずっと篠笛を吹いていましたが、今では子供達も一緒に吹いています。
元はあったものが途絶え、それから復活したということにも大変驚かされた出来事でしたが、復活した篠笛も今では定着し、こうして受け継がれていることにすごく感銘を受けました。

ここ数年、活動をしていてよく思うことは、昔の人達が築き上げたものは凄く粋であり、かっこいいということです。
それには必ず何かしらの意味があって、今を生きる私達に受け継がれています。

それらを無くすことは簡単ですが、受け継がれてきた文化を大切にすることは、どれだけ大変で大切なことかと最近よく考えます。

受け継がれてきた文化も、時が経てばその意味合いもわからなくなります。

意味合いがわからないものでも、なぜそれをしているのか、逆にこうであろうと仮定をつけて考えてみるのもいいかもしれません。

そうしたちょっとした思いが、次へと繋がる道になるのだと思います。

今回の出来事は、こうして文化は受け継がれていくんだと実感した瞬間でもありました。

管理人自身も、次の世代に残せるようなことをしていきたいと思います。

まだまだ頑張らないと(笑)

 

↓以前、南獅子組さんをご紹介したブログ記事はこちら
途絶えた伝統文化の復活

 

 

香川県の獅子舞

 

ここ数年、新聞記事やイベント情報など、「香川県の獅子舞」という言葉をよく目にするようになっています。

ふと「香川県の獅子舞」とはなんだろ?
と、思ったので考えてみました。

このブログでは、大木獅子組のサイトではありますが、管理人が県内各地へと訪れた祭りや獅子舞を不定期ながら書かせてもらっています。
県内を西から東へ巡っていますが、どの地域もその土地柄の特色が出ていて、とてもいい刺激をもらっています。

 

あやうたふるさとまつり[ 2017年11月5日(日)]
あやうたふるさとまつり[ 2017年11月5日(日)]

 

「香川県の獅子舞」と一括りにして、それらの地域の獅子舞を説明できるのかといわれると、、、

正直自信がないです(^^;)

では、香川県の獅子舞を全体的に見て、全て共通しているところはどこなのか、、、

 

大木獅子組[獅子頭(修理後)]
大木獅子組[獅子頭(修理後)]

 

「張り子の獅子頭」

だと思われます
※高松市香西町や、古くからの獅子頭が伝わっている地域などでは木彫りの獅子頭を使用されていますが、ここでは広く全体的に見てということで、申し訳ありませんが割愛させていただきます。

いやいや、鉦や油単があるだろ!

 

獅子舞 [ 香川県仲多度郡まんのう町 ]
獅子舞 [ 香川県仲多度郡まんのう町 ]

という声も上がるかもしれませんが、鉦がない地域も沢山ありますし、油単ではなく毛の獅子も土器川周辺地域では多く見かけます。

獅子舞の系統によって、使われる鳴り物の種類も変わってきますので、全て共通して同じ使われ方をしている鳴り物は、香川県の獅子舞では今のところ見たことはありません。

 

「讃岐獅子頭」

香川は全国でも獅子舞の盛んな地域です。
神社の祭礼に使われる獅子頭は、顎、耳、取っ手など一部を除き、張子の手法が使われています。
粘土の型に和紙を張り合わせ、型抜きをした後、胡粉や漆で素地を作り装飾を施します。
軽量で丈夫な乾漆作りが大きな特徴です。

香川県のサイトでは、香川県の伝統工芸として獅子頭をこのように紹介されています。

「香川県の獅子舞」を紹介するのであれば、、、

香川県の伝統工芸でもある、軽量で丈夫な乾漆作りの張り子の獅子頭を使い、その地域に伝わっている獅子舞を祭事で奉納をしている。
獅子舞の曲や、使われる鳴り物、獅子の油単(獅子の胴布)は地域によって様々で、舞も含め地域の特色が色濃く出ている。

でしょうか?

もっとうまくまとめれる文章力があったらよかったのですが(^^;)

ということで、このようにあれやこれやと考えても、、、

これぞ香川県の獅子舞!

といえるような代表的な獅子舞を、地域によって文化が違う香川県では見つかるわけもなく、言うなれば、張り子の獅子頭を使った様々な系統の違う獅子舞が伝わっているのが、香川県の獅子舞のいいところ、というとこでしょうか(^^)

 

葛原正八幡神社 秋季大祭
葛原正八幡神社 秋季大祭

 

最後に葛原でまとめさしてもらいますが、葛原4組ともまったく違うリズム、獅子舞を毎年奉納をしているというのもこの地域の特色です。

大木獅子組の獅子舞も、似たようなリズム、舞いをしている地域と出会ったことはありませんので、その組の獅子舞で完結しているというのも、先代達が築き上げた葛原の特長的な文化なのかもしれません。

この小さな地域でさえ、それぞれの獅子組で違っています。
日本一狭い県で、様々な獅子舞が生まれたというのもなんだか凄い話だと思います。

 

結局は、香川県の獅子舞文化は凄いなとなりますね(笑)

 

 

多度津町葛原のお祭り – 香川県の獅子舞 –

 

幟

 

朝、起きると家の前には大きな幟が立っています。
この幟を見れるのも、祭りが始まるまでの1週間程ですが、朝起きてこの幟を見るのが、毎年の楽しみにもなっています(笑)

9月末から各地で秋祭りが始まっていますが、多度津町葛原も、今週末の金曜日の夜18時から日曜日にかけて始まります。

前回の記事では、中讃地域の獅子舞文化について少し書きましたが、次は各地へ巡って気づいた地元葛原のお祭りについて書いてみようと思います(*^^*)

多度津町葛原は、多度津町でも端にある地域です。
善通寺市、丸亀市のすぐ隣りになりますので、祭り時期になると善通寺市金蔵寺町や、丸亀市金倉町から太鼓や鉦の音が聞こえてくるほどです。

 

葛原正八幡神社
葛原正八幡神社

 

そんな端にある葛原正八幡神社は、多度津町内にある神社の中でも敷地も広く大きな神社です。

秋祭りも、南獅子組、北獅子組、西獅子組、大木獅子組の4組の獅子組が奉納をし、現在は少なくなっていますが、管理人が子供の頃は沢山の天狗、烏天狗のダカ達もいました。
(ダカのことが相当好きなとある男性が頑張って、葛原のダカ文化を盛り上げようと頑張ってくれています(笑))

 

多度津町葛原の秋祭り(1970年頃)
多度津町葛原の秋祭り(1970年頃)

 

神社から御旅所までの道のりを長い行列を組んで進んでいく光景は今も見られます。
葛原は、多度津町の中でも大きな祭りをしている地域かもしれません。

なぜ多度津町の中心から離れている地域で、比較的に大きな祭りをしているのでしょうか。

その昔、管理人の父親が子供の頃、神社の湧き水で泳いでいたと聞いたことがあります。

実際に、葛原正八幡神社の森と涸れることのない泉を指して「葛原は森八町、池八町」と呼ばれていたそうです。
殿涌(とのゆ)、鬼涌(おにゆ)、皿涌(さらゆ)の3つの湧水があったと言われています。

水があるところには人が集まり、人が集まれば発展をする。

そして多度津町は、江戸時代には金刀比羅宮参拝の玄関港として栄えていた歴史もあり、四国の鉄道の発祥の地として人の集まる場所でもありました。

葛原正八幡神社は、「第76番札所 金倉寺」から、「第77番札所 道隆寺」への遍路道沿いにある神社です。
多度津町からの金刀比羅宮参拝と、お遍路道と人の流れがあったと思われます。

ある書籍に、神社のある八幡(やはた)は宿場町として賑わっていたと書かれていました。
そして、小学校もあったそうです。
八幡の現在の狭い街並みは、その名残が残っているのかもしれません。

葛原の祭りや行列などの神事を見ていると、善通寺市の中でも比較的に獅子組が多い神社の祭りと似ているような気がします。

人の流れがあれば、少なからず影響もあったと思われますし、水の恩恵を受けている場所であれば、祭りに対しての意識も高かったと思われます。

 

なので、葛原は多度津町でも端にありながら、大きな祭りをしていたのではないか。

 

というのが、管理人の勝手ながらの憶測です(笑)

 

 

ただこれだけいえることは、それだけ歴史のある場所で祭りができることや、人手不足等で少しずつ変わっていってるところがあるとはいえ、今でも変わらず形式を変えずに祭りが行われていることに誇りを持つことも大切なのではないかと思います。

各地の神社へ訪れ、その地の祭りを見なければ疑問に思うこともなかったであろう葛原の秋祭り。

知れば知るほど奥深さを感じる地元の祭りです。

今の神事を壊さず、みんなで大切にしながら盛り上げいくことが、外から来る人にも見せれる立派な祭りができるのではないかと思います。

個人的には、大木獅子組の獅子舞もこだわりを持って、まだまだ追及していくことも管理人の目標ではありますが(笑)

もうすぐで、年に一度のお祭りです!

今年も頑張ります(^^)/