中讃地域の獅子舞 – 流儀としての認識はない地域? –

 

香川県の獅子舞に流儀があると聞いた時は、大変驚いたことを今も思い出します。

それから、沢山の地域の獅子舞の撮影に行き、多くの人達と出会って色んなお話も聞かせてもらい、流儀とはどういうものなのか知ることができました。

そこから気づいたことですが、香川県の全ての獅子舞に流儀があるわけではないこと。

特に中讃地域は、それが顕著に現れています。

大木獅子組も、その流儀がない1組になります。

大木獅子組ついては、以前のブログで書かせてもらいました(^^)

獅子舞の流儀  -大木獅子組に流儀はあるの?-

 

以前は、大木獅子組の視点で書かせてもらいましたが、今回は葛原も含む中讃地域で見てみます。

 

葛原正八幡宮 南獅子組
葛原正八幡宮 南獅子組

 

管理人が住んでいる中讃地域は、様々なリズムや舞、獅子頭の種類、道具を見ることができる地域です。

地元も含まれる地域ですので、いろんな方とお話をすることもあるのですが、流儀という話にはまずなりません。

それはなぜなのか・・・。

香川県の獅子舞の流儀の1つに「五段」という流儀があります。

 

瀬居八幡神社 [ 坂出市瀬居町 ]
瀬居八幡神社 [ 坂出市瀬居町 ]

 

主に綾川町、綾歌町に多く伝わっている流儀ですが、中讃地域でも東の境に沿って伝わっています。
※「〇〇五段」というような、名称に五段が付く流儀は「五段」とはまた別な流儀という解釈をしていますので含めていません。

中讃地域で「五段」が伝わっている地域に住んでいる方に聞いたことがあるのですが、地元でも「五段」といわれているが、流儀としての認識はなかったということでした。

それらの地域では、「曲」と「五段」、「みたち」と「五段」というように2曲の獅子舞を覚えないといけない地域が多いのですが、流儀というよりも舞いの名称としてそれぞれ使われています。

中讃地域は、古くからの神事が残っている地域も多く、今も祭事では執り行われています。
獅子舞の奉納も、その神事の1つとして大切にされています。

神事の「舞」として、地元の神様への奉納に重きを置いていることを考えると、流儀としての認識は必要ないのかもしれません。

その中でも、善通寺市内の獅子舞はなかなかに興味深い歴史的背景があります。

大正11年、香川県での陸軍大演習に伴って、のちの昭和天皇が偕行社に滞在された際に、旧善通寺町の獅子舞が勢揃いして披露しました。
その際、すべての獅子舞を12通りに統一したという歴史があります。

 

丸山八幡宮 秋季大祭 [ 善通寺市 ]
丸山八幡宮 秋季大祭 [ 善通寺市 ]

 

それをきっかけに「十二通り」」の獅子舞として伝わり、今も秋祭りでは奉納されています。

また一部地域では、西讃地域の「〇〇流~」という獅子舞が伝わっていたりしますが、西讃地域の場合は流儀というよりも、発祥はここという意味合いで付けられた名称なような気がします。

そして、東讃で伝わっている流儀は、これまで中讃地域では見たことがありません。

 

大木獅子組のように、流儀ではなくその組で完結している獅子舞も多くあれば、善通寺市内のように歴史的な背景から生まれた獅子舞もあったり、隣り合った地域から影響を受け伝わっているが、流儀名ではなく舞の名称として根付いていたりと、様々な獅子舞が中讃地域にはあります。

神事の特色や、地域性、歴史背景など、様々な要因で地域に根付いた獅子舞が生まれた結果が、多種多様な獅子舞のある地域になったのかもしれません。

そのような土地柄ですので、流儀としてというよりも、神事の舞として大切にしている地域なのだと思います。

中讃地域だけでも、相当数の獅子組があります。

今後の活動次第では、またさらなる発見があるかもしれないですよね(*^_^*)

さらに、西讃、東讃と活動範囲を広げれば、中讃では見られない獅子舞も沢山あります。

香川県の獅子舞は、調べても調べても新しい発見ばかりです(*^▽^*)

 

 

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