奉納の獅子舞とは考えさせられた獅子舞

 

これまで管理人の個人活動で、沢山の獅子舞を見てきました。
地域によって、舞いも違えば文化も違う。
どこへ行っても、新しい刺激を受けてきました。

その中でも、個人的にとても刺激を受けた獅子舞があります。

それは、坂出市瀬居町の瀬居八幡神社の秋祭りで出会いました。
瀬居八幡神社の秋祭りは、現在は埋め立てられ陸続きとなっていますが、元は離島の島の祭りだったそうです。

竹浦獅子組、西浦獅子組、本浦若連中の3組の獅子組が、毎年秋祭りで獅子舞を奉納しています。

葛原では馴染みはありませんが、瀬居の獅子舞は2曲あります。

それは、「御立」と「五段」です。

「御立」は、太鼓ぶちがいますが、「五段」はいません。
それぞれに舞いも違えばリズムも違います。

「五段」にいたっては、1時間近くある舞いです。
交代もしないので、葛原の人間にとっては信じられないお話です(・_・;)

葛原では1曲覚えればいいところを、もう1曲分別の舞いとリズムを覚えないといけない。
初めてその話を聞いた時は、馴染みがないだけに大変驚きました。

僕がとても刺激を受けたのは、秋祭りの最後に舞う「五段」でした。

 

瀬居八幡神社 [ 坂出市瀬居町 ]
瀬居八幡神社 [ 坂出市瀬居町 ]

 

静と動が表現された舞。
獅子、鳴り物、奉納するその姿勢に、ピリッとした空気感が神社の境内に漂っていました。

それらの様子を見ていると、これまで獅子舞に対する考えが甘かったことを痛感させられました。

ただかっこよく、上手く、目立つように、、、

それだけでは、表現することができない獅子舞が目の前にあったのです。

これまで「五段」という名の付く舞いは、他の地域でも出会ってきました。
まだ素人考えかもしれませんが、「五段」という舞いは上手い下手がはっきりとわかる舞いだと思っています。

それだけ、あの最後に舞う「五段」はどれだけの緊張感を強いられるのか、、、
見る側も、舞う側も真剣になるのは、それを知っているからなのかもしれません。
あくまで個人的な意見ですが。

最近、本当に凄い獅子舞とはどういうものかと考えます。

見てほしい、見られたいという外からの意識ではなく、奉納する獅子舞としての想いや姿勢、それをどれだけ強く持っているか、外ではなく中からの意識で大きく変わってくるのだと思います。

それが獅子舞を奉納するメンバーで表現できれば、大木獅子組も、外から見られても凄いと思われる獅子舞ができるのではないかと思います。

そこまで意識を持つのもなかなか難しいことではありますが、そのような獅子舞をいつかはしてみたいと密かな管理人の夢でもあります(笑)

 

 

秋祭りの練習が始まりました

 

管理人が住んでいる場所は、ちょうど地域の境に位置するところにありまして
この時期になると、家に帰ると周辺地域から太鼓や鉦の音が聞こえてきます(*^^*)

思わず立ち止まって聴いてしまいます(笑)

大木獅子組も、9月初めの週末から練習が始まりました。

 

大木獅子組秋祭りの練習2017
大木獅子組秋祭りの練習2017

 

今年の太鼓ぶちは、久しぶりに初めての子供を含めた練習となっています。
最初の練習では戸惑っていた子も、気づけば一通りできるようになっていたりと、覚えの速さに大変驚かされています。

そして、昨年から引き続き太鼓ぶちをしてくれる子供達も、真面目に練習に取り組んでくれています。
以前の幼さもなくなり、成長している姿にちょっとしみじみ(笑)
少しずつ大人へと成長していってるんでしょうね。

ということで、秋祭りへ向けて始動した大木獅子組。

今年の秋祭りは、10月第3週目の13日(金)~15日(日)です。
天気にも恵まれた祭りになるように祈るばかり!

引き続き練習頑張っていきます!(^^)

↓葛原正八幡宮秋祭りの日程はこちら
https://sanuki-shishimai.info/schedule/

 

 

押し入れから出てきた年代不明の品々

 

道具の収納をしやすくする為に、会場で整理をしていた時のこと。
現在のメンバーでも目にしたことのなかった年代物の品々が出てきました。

「幟」

案内幟
案内幟

左の赤の無地の幟は、先代の幟。
この幟は、僕が小学生の頃にも使われていた物で十数年前までは使われていました。

そして、右側は今回出てきた幟。
先代のよりも大きく刺繍入り、しかも重い!
まさか先代よりも、派手目な幟だとは思いもしなかったので驚きました。

写真では伝わりづらいと思いますが、これらの幟は竹を通して設置すると家の1階部分は超える大きさになります。

幟文化については、以前のブログでご紹介しましたので、よければこちらをご覧ください。

『幟(のぼり)文化 Part.2』
http://sanuki-shishimai.info/blog/2016/08/26/%E5%B9%9F%EF%BC%88%E3%81%AE%E3%81%BC%E3%82%8A%EF%BC%89%E6%96%87%E5%8C%96-part-2/

 

「太鼓ぶちの着物」

太鼓ぶち(着物)
太鼓ぶち(着物)

この着物は、上の年代の方にも聞いてみましたがわからないということでした。
太鼓ぶちの着物は、女性が着る着物のように綺麗な柄の入った着物のイメージが強かったですが、過去には渋めの着物の時代があったんだと歴史を感じました。

少し気になるのは、お隣りの多度津町南鴨の加茂神社で行われる秋祭りで、着物を着た小学生が鉦を叩いているのですが、その小学生の格好と似ているなと思ったことです。

葛原と南鴨とでは、祭りの文化を見るとあまり繋がりはなさそうにも思えるのでたまたまかもしれませんが。

 

「油単」

油単(年代不明)
油単(年代不明)

とても小さい!!
その小ささには大変驚いたぐらいです。

昔は、今のような武者絵などの派手目なものではなく、このような柄の油単が多く使われていたそうです。
僕が生まれる前に父親が撮影した祭りの写真に写っていたのは、確かにこのような油単の柄が多かったと思います。
上の年代の方からすると、この小さな油単から僕達が慣れ親しんでいる油単に変わった時は、とても大きくなったと感じたそうで
そこは世代間ギャップなのかなと思ったりもしました(笑)

今は使われなくなった道具達ですが、こうして目にすると先代の人達が繋げてきて今があるのだなと改めて実感します。

その時代時代で、周りの環境は変わっていくと思いますので、どの世代でも時代に合わして変えていった部分もあると思います。
それでも、先代達が積み上げてきたものや守ってきたものは、崩さないように守っていくことも大事なのかなと思います。

古くから残る文化を長く守ってきたものほど、壊れるのは簡単だといいます。

何を大切にして、何を変えていくのか間違えないように、歴史や文化を知ることも必要なのかなと感じた今回の出来事でした。