押し入れから出てきた年代不明の品々

 

道具の収納をしやすくする為に、会場で整理をしていた時のこと。
現在のメンバーでも目にしたことのなかった年代物の品々が出てきました。

「幟」

案内幟
案内幟

左の赤の無地の幟は、先代の幟。
この幟は、僕が小学生の頃にも使われていた物で十数年前までは使われていました。

そして、右側は今回出てきた幟。
先代のよりも大きく刺繍入り、しかも重い!
まさか先代よりも、派手目な幟だとは思いもしなかったので驚きました。

写真では伝わりづらいと思いますが、これらの幟は竹を通して設置すると家の1階部分は超える大きさになります。

幟文化については、以前のブログでご紹介しましたので、よければこちらをご覧ください。

『幟(のぼり)文化 Part.2』
http://sanuki-shishimai.info/blog/2016/08/26/%E5%B9%9F%EF%BC%88%E3%81%AE%E3%81%BC%E3%82%8A%EF%BC%89%E6%96%87%E5%8C%96-part-2/

 

「太鼓ぶちの着物」

太鼓ぶち(着物)
太鼓ぶち(着物)

この着物は、上の年代の方にも聞いてみましたがわからないということでした。
太鼓ぶちの着物は、女性が着る着物のように綺麗な柄の入った着物のイメージが強かったですが、過去には渋めの着物の時代があったんだと歴史を感じました。

少し気になるのは、お隣りの多度津町南鴨の加茂神社で行われる秋祭りで、着物を着た小学生が鉦を叩いているのですが、その小学生の格好と似ているなと思ったことです。

葛原と南鴨とでは、祭りの文化を見るとあまり繋がりはなさそうにも思えるのでたまたまかもしれませんが。

 

「油単」

油単(年代不明)
油単(年代不明)

とても小さい!!
その小ささには大変驚いたぐらいです。

昔は、今のような武者絵などの派手目なものではなく、このような柄の油単が多く使われていたそうです。
僕が生まれる前に父親が撮影した祭りの写真に写っていたのは、確かにこのような油単の柄が多かったと思います。
上の年代の方からすると、この小さな油単から僕達が慣れ親しんでいる油単に変わった時は、とても大きくなったと感じたそうで
そこは世代間ギャップなのかなと思ったりもしました(笑)

今は使われなくなった道具達ですが、こうして目にすると先代の人達が繋げてきて今があるのだなと改めて実感します。

その時代時代で、周りの環境は変わっていくと思いますので、どの世代でも時代に合わして変えていった部分もあると思います。
それでも、先代達が積み上げてきたものや守ってきたものは、崩さないように守っていくことも大事なのかなと思います。

古くから残る文化を長く守ってきたものほど、壊れるのは簡単だといいます。

何を大切にして、何を変えていくのか間違えないように、歴史や文化を知ることも必要なのかなと感じた今回の出来事でした。

 

 

獅子舞の流儀 – 大木獅子組に流儀はあるの? –

 

東から西へと、各地の獅子舞を見に行っていると文化の流れが見えてきます。
特にわかりやすいのは、流儀が伝わっている地域。

 

獅子舞[ 香川県高松市 ]
獅子舞[ 香川県高松市 ]
獅子舞[ 香川県坂出市 ]
獅子舞[ 香川県坂出市 ]
 

地域が変わると少しずつ違いが出てきますが、共通点も多くあったりします。
ですので、初めて訪れた地域でもこれは見たことある、このリズムは聞いたことがあるという発見があります

 

獅子舞[ 香川県高松市庵治町 ]
獅子舞[ 香川県高松市庵治町 ]
獅子舞[ 香川県仲多度郡琴平町 ]
獅子舞[ 香川県仲多度郡琴平町 ]
 

流儀があると初めて知った時は、とても衝撃的なことでした。

獅子舞に流儀なんてあるの!?

という感じで(笑)

 

獅子舞 [ 香川県仲多度郡まんのう町 ]
獅子舞 [ 香川県仲多度郡まんのう町 ]

 

「五段」、「牡丹くずし」、「平獅子」、「猩々くずし」・・・・・

等々、様々な流儀があります。

それらの流儀を知って、まず思ったのは 、、、

じゃあ大木獅子組はどの流儀に当てはまるのだろう?

です。

 

写真活動を始めて、いつか出会う時があるだろうと当初は思っていたのですが、多くの地域を訪れて気づいたことは、そもそもうちには流儀がないのではないかということです。

 

獅子舞 [香川県仲多度郡多度津町]
獅子舞 [香川県仲多度郡多度津町]

 

多度津町は、特に流儀にあまり認識のない地域かもしれません。

葛原でも、4組とも舞いもリズムもまったく違います。

隣りの地域を見ればさらに違います。

多度津町全体で見ると、リズムは多度津な感じというのはありますが、それは感覚的なもので目に見えてはっきりとした共通点はありません。

流儀に認識がなかったというのは、流儀に当てはめる必要がなかったのではないか、それぞれの獅子組で獅子舞もリズムも完結しているので、流儀云々という話にはなりませんよね。

 

というのが、当初、大木獅子組には流儀はあるのかから始まり、現在に至る考えです

 

ちなみに、多度津町山階の山階本村獅子組さんと、山階北山獅子組さんの隣り同士で伝わっていたり、多度津町三井の獅子組さんから、県道11号線を挟んで隣りの善通寺市弘田下所獅子組さんへと伝わっていたりというように、近隣で伝わっているという例はあります。
葛原では、巡りに巡って西獅子組さんのところへと、詫間町松崎のリズムと太鼓打ちの芸が伝わっていたりしますが、それはレアなケースかもしれません

 

獅子舞[ 香川県三豊市詫間町 ]
獅子舞[ 香川県三豊市詫間町 ]
西獅子組
西獅子組

 

流儀というものを知らなかったら、このように考えることもなかったと思うのですが、大木獅子組の舞いもリズムも他では見られないものだとわかったので、あらためて大切にしていかないと思うことができました

 

大木獅子組[ 氏参り(2016/10/14) ]
大木獅子組[ 氏参り(2016/10/14) ]

 

もっともっと磨きをかけていかないとなぁ(笑)

 

 

記録に残る歴史

 

松下獅子店へ、ちょっとしたお手伝いをしに行った時に見つけた1枚の板。

 

とある獅子組さんの昭和30年代の購入記録

 

鉦の寄付をした人達の名前が書かれていました。
年代も書かれていまして、昭和30年代。

 

う~ん、ずいぶんと古い。

 

心当たりのある、とある獅子組さんの関係者の方に写メを送って確認してもらったところ
その方のひいおじいちゃんの名前が書かれているとか

もしこれが仮に自分のところの獅子組の物で
ご先祖様の名前が書かれていたらと考えると
僕も大興奮していたと思います(笑)

 

最近、このブログでたまにお名前が出てくる水野先生。

香川県内の獅子舞や、祭り関連に精通している方で、
水野先生が調査されていた時のお話を聞くこともあるのですが
獅子組の歴史を知るには、購入した物の台帳などが手がかりになるとおっしゃってました。

おそらく今回見つけたような物もその一つなんだろうと思います。

また歴史を感じるのは、当時の寄付金や鉦の金額。

書かれている鉦の金額は12,600円。

 

安い

 

と、現在の僕達にとっては思ってしまいますが
今と相場も違いますし、当時にとっては大金だったと思います。

当時の人達は、どのような気持ちで寄付を募って
その時の獅子組の人達に渡したのか、、、

もしかしたら、次の世代、そのまた次の世代へと託すために頑張って欲しいと
寄付をしたのかもしれませんよね

 

これまで携わってきた人達の歴史があるから、今僕達も同じように獅子舞ができているのかなと、そう感じた今回の出来事でした。