太鼓ぶち – 香川県の獅子舞 –

 

太鼓ぶち [ 大木獅子組 ]
太鼓ぶち [ 大木獅子組 ]

 

上の写真は、管理人が小学1年生の時に「太鼓ぶち」として、初めて大木獅子組として参加した年の写真です。

管理人にも、このような時代がありました(笑)

 

大木獅子組[ 家遣い ]
大木獅子組[ 家遣い ]

 

「太鼓ぶち」は、小学生の子供が綺麗な着物を着て、獅子の舞いと一緒に太鼓を叩く役目です。
地域によっては、「太鼓うち」とも呼びます。

当時、秋祭りも獅子舞もよく分からなかった管理人に、訳も分からず父親からリズムを家で教えられたのが、管理人の獅子舞への始まりでした。

 

大木獅子組秋祭りの練習2017
大木獅子組秋祭りの練習2017

 

練習は、本番の1ヶ月前から始まり、毎日会場へ行っては19時から21時までの練習。
管理人も含めて子供は4人。

当時は、今では考えられないぐらい厳しく指導された記憶があります(;´・ω・)

足の出す方向が逆だと、本来前に出す足を強制的に前に出されます。
踏ん張りが効かず、そのまま後ろへストーンと転んで強打(-_-;)

落ち着きなく騒いでたらもちろん怒られますが、獅子を出している時期は特に怖く、ふざけて油単を跨ぐようなら鬼のように怒られたものです(^^;)

もちろん獅子頭を触るなんてもってのほか!!

とりあえず、練習時の大人達は怖かったです(´;ω;`)
といっても、楽しい時もあったので、いつもそうだったわけではないですよ?(笑)

 

お祓い[ 氏参り(2016/10/14) ]
お祓い[ 氏参り(2016/10/14) ]

 

葛原のお祭りでは、お祓いを受けてから始まるお祭りです。

よく大人達も、祭りは「まずお祓いを受けてから」と言っていましたが、葛原ではお祓いを受けることで、神様に近い存在になるという認識が昔からある地域だと思います。

今は、練習の為に初日から獅子頭を出していますが、当時の大人達は獅子頭を出さずに座布団を使って練習をしていました。
本番が近づく頃合いを見て、獅子頭を出し油単を付けて、初めてそこで獅子に入って練習していた記憶があります。

太鼓ぶちも、練習時期は怒られたりもしましたが、厳しかった大人達も祭り中の太鼓ぶちに対しては、とても大切にしてくれました。

そのような地域性ですから、そりゃ獅子頭を触ったり、跨いだらこっぴどく怒られるのもわかる話です(;^_^A

でもそれが、子供達にも自然と身に染みて実感するきっかけになっていたのだと思います(*^-^*)

 

ここで、「太鼓ぶち」という役目がない地域もありますので、少しばかり「太鼓ぶち」はどういったものか、大木獅子組を一例にご説明をさせて頂きます。

 

大木獅子組[ 氏参り(2016/10/14) ]
大木獅子組[ 氏参り(2016/10/14) ]

 

大木獅子組の場合、主となるリズムは大人が叩く地太鼓(平太鼓)になります。

しかし、そのリズムの基本となるのが、太鼓ぶちの叩くリズムです。
その発展形が、地太鼓でもあり、鉦でもありというところなので、獅子舞の奉納を見て頂ければ、太鼓ぶちも、地太鼓も、鉦も、ほぼ同じリズムで叩いているのがわかります。

 

大木獅子組
大木獅子組

 

しかし、太鼓ぶちの場合はリズムを覚えればそれでOKということではありません。
ただ太鼓に向かって叩くというわけではなく、リズムに合わして様々な動作が入ります。

また、リズムの合間合間でする所作「芸」と呼ばれる舞いに近いかもしれませんが、それらも覚えないといけません。

大木獅子組の場合は「芸」は16個あります。

獅子組によっては、20個以上あったりもするので、まだ少ない方だと思います。

「芸」には、

■こしあて
■むねあて
■まえのけ
■まえぬき
■ししおこし
■いれかわり
■のし


というように、1つ1つに名称がありまして、型もそれぞれ異なります。

そこをきちんとしていなければ、練習時には大人達の雷が落ちていました(;^_^A

百聞は一見に如かずということで、、、

 

 

イベントの時の動画になりますので、本来の太鼓ぶちは二人一組で、一組ずつ獅子舞の時に太鼓を叩きます。

祭り中は交代しながら叩きますが、子供4人でずっとですから大人以上に大変だと思います。

管理人も通ってきた道ですが、大変な中、それほど苦痛と感じてはいませんでしたので、その時には既に祭りバカになっていたのだと思います(笑)

とにかく覚えることがいっぱいの「太鼓ぶち」。
大人達よりも、まずは子供からという練習もわかるお話です。

いったい誰が考えたのか、、、

今となってはわかりませんが、その「太鼓ぶち」は葛原だけではなく、お隣りの善通寺市にもありますし、香川県全体で見ると主に中西讃で見られる文化です。

「太鼓ぶち」があるということは、獅子舞はどこも一緒なのかというと決してそうではなく、獅子舞や使われている鳴り物は地域によって様々で、ただ「太鼓ぶち」という共通した役目があるということだけです。

獅子舞の文化が違うと、「太鼓ぶち」のスタイルの違いも表れます。

 

とんど焼き2018 [ 葛原正八幡宮 ]
とんど焼き2018 [ 葛原正八幡宮 ]

葛原のように着物にはちまきスタイルもあれば、

 

丸山八幡宮 秋季大祭 [ 善通寺市 ]
丸山八幡宮 秋季大祭 [ 善通寺市 ]

着物に花笠というスタイルもあります。

 

花の御前稲荷神社 [ 三豊市詫間町積 ]
花の御前稲荷神社 [ 三豊市詫間町積 ]

 

三豊市の沿岸沿いの地域では、唐様と呼ばれる中国風の衣装のスタイルもあります。

(法被の地域もありますが、様々な事情で法被に変わることもありますので、昔から法被だったというお話を聞くことがあれば、またその時にでもご紹介したいと思います。)

「太鼓ぶち」という文化だけでも、地域によって様々です。

そして、どれほどの子供達が、「太鼓ぶち」というその役目を担っているのか、、、。

中西讃の獅子組数だけでも、何百と超える相当な数です。

大木獅子組の場合は、多くても太鼓ぶちは4人ですが、それ以上の人数のいる獅子組もあります。
1組に最小で2人の太鼓ぶちがいたとしても、相当な人数の子供達がその役目を担っているのだと考えると、なんだか凄いお話です。

 

このように「太鼓ぶち」という役目は大変でありますが、その地域の獅子舞にとって大切な役目でもあります。

「太鼓ぶち」を経験した子供にとっても、その地域の文化に触れるきっかけにもなりますし、地元を大切に思う気持ちへと繋がることになっているのかなと思います。

管理人も伝える立場となった今、「太鼓ぶち」には本当に大切にしていかないといけないことは何なのか、行動でも伝えれるようなそんな大人になりたいと思います。

 

 

多度津町内の神社を自転車で巡る

 

2月後半も寒波が続き寒い日が続いていましたが、3月に入って一気に気温が上がってきました。
3月初旬の日曜日は、ポカポカ陽気(*^-^*)

青空が見える快晴に、

よし!神社を巡ろう!

と思い立ち、カメラバッグを背負って、多度津町内で秋祭りが行われている神社を巡る旅にでました(笑)

 

加茂神社 [ 多度津町南鴨 ]
加茂神社 [ 多度津町南鴨 ]

まずは、葛原のすぐお隣りの南鴨にある「加茂神社」。

南鴨、北鴨の産土神を祀った神社で、「南鴨念仏踊」と呼ばれる神社に奉納する雨乞い踊りは、県指定文化財にもなっています。

南鴨念仏踊は、加茂神社で奉納される踊りですが、遥か昔には多度津、堀江、北鴨、葛原の各神社でも奉納をされていた記録が残っているそうです。

また神社に建てられている記念碑には、「今から二百六十余年前多度津藩の許可を受け南加茂村は水路を造って上葛原村の泉から水を引き田畑に灌漑していた。」と書かれています。

葛原の泉から引いていたというのは、もしかしたら葛原正八幡宮に湧いていた湧き水の池のことを指しているのかもしれません。

そして、その次に訪れたのは、、、

 

弘浜八幡宮 [ 多度津町堀江 ]
弘浜八幡宮 [ 多度津町堀江 ]

さぬき浜街道沿いの近くにある「弘浜八幡宮」。

弘浜八幡宮は、延久五年(1073年)八月、道隆寺第十二代祐禅が勅を奉じて勧請した八幡宮五社の一つです。
葛原正八幡宮も、八幡宮五社の一つに当たるのですが、弘浜八幡宮と葛原正八幡宮は同じ時期に創建されたそうです。

そして、その次に訪れたのは、、、

 

家中天満宮 [ 多度津町家中 ]
家中天満宮 [ 多度津町家中 ]

江戸時代、多度津藩の家臣が住む武家屋敷町でもあった多度津町家中にある「家中天満宮」。

神社の境内にある記念碑には、「寛永十二年九月(一六三五年)堀江より遷座して土地の産土神になったが、その頃の家中は新町村と呼ばれ、砂地の不毛の土地だったという。九十八年後の文政六年(1733年)の早魃に南鴨の念仏踊がこの境内で奉納され、その後各地に雨が降り、田は潤ったと記録に残っている。」
と、書かれています。
堀江とも縁があり、まさか最初に訪れた加茂神社の念仏踊のことがここで出てくるとは思ってもみなかったので大変驚きました。

そして、その次に訪れたのは、、、

 

蛭子宮 [ 多度津町東新町 ]
蛭子宮 [ 多度津町東新町 ]

港の近くにある蛭子宮。

蛭子宮では、漁船に神輿を乗せ、港内を巡幸して豊漁を祈る秋祭りが行われています。
多度津町では、唯一の漁船が出る秋祭りです。

そして、その次に訪れたのは、、、

 

白髭神社 [ 多度津町本通 ]
白髭神社 [ 多度津町本通 ]

多度津山の東側にある「白髭神社」。

本殿から、多度津町街並みを一望でき、その先には瀬戸内海が広がっています。
海上交通の神として祀られているとして、他サイトで紹介されているのを見ましたが、本殿からの景色を見ていると、海を見守っているというのも頷けます。

そして、今回の自転車旅の最後に訪れたのが、、、

 

庄天満宮 [ 多度津町大字庄笠屋 ]
庄天満宮 [ 多度津町大字庄笠屋 ]

「庄天満宮」。

庄天満宮では、「笠屋天満神社子供馬」と呼ばれる子供馬が県指定文化財に選ばれています。

神社の境内には、「菅原道真が讃岐国司であったとき、国内巡見の際にこの地に訪れ、里人が馬形を作って迎えたという伝説に端を発します。」と記載されている看板があり、子供馬の文化が生まれた歴史を知ることができます。

現在も、秋祭りには行われている行事の一つで、本殿の前で、張子で作られた子供馬を身に着けた子供達が輪になって回ります。
天狗、烏天狗も、子供達の輪に入って、斧にまたがって一緒に回ります。

管理人も初めて見た時は、こんな文化もあるんだと思わず見入ったほどです。

以上、今回は6つの神社を巡りましたが、旅の合間にはこんな出会いも、、、

 

蛭子宮で出会った猫ちゃん
蛭子宮で出会った猫ちゃん
白髭神社で出会った猫ちゃん
白髭神社で出会った猫ちゃん

 

癒されました(笑)

また春の訪れを感じさせる光景も、、、

 

家中天満宮 [ 多度津町家中 ]
家中天満宮 [ 多度津町家中 ]

 

花も咲き始めていました(*^^*)

 

猫と戯れながらの一人自転車旅もなかなか面白かったですが、まったく違う秋祭りをしている地域でも、神社の歴史で見れば何かしら繋がりがあったりと、これまで知らなかった発見があってとてもいい旅になりました。

祭りだけでは分からないことを知ることで、また違った角度から地元の祭りや、各地の祭りを見た時に色々と気づくこともあるかもしれません。

色んな意味で、管理人にとってはいい発見だったと思います。

まだ、多度津町内で秋祭りが行われている神社を全て巡れていませんので、また次回巡りたいと思います(^^♪

 

 

世代を超えて、思いを共有する

 

当ブログに、たまに書かせてもらうことがある善通寺市の獅子頭職人 松下のおっちゃん。

その松下のおっちゃんが手掛けた獅子頭は、20年、30年経っていても、まだまだ現役で使えるほど頑丈な獅子頭です。

ただ頑丈だといっても、月日が経ってば年季も入ってきます。
そのような年季の入った獅子頭も、職人さんの手によってかかれば、また新たな輝きを放ちます。

 

砂古獅子組(善通寺市)
砂古獅子組(善通寺市)

 

生まれ変わった獅子頭を初めて振る時は、とても緊張もしますし、気合いも入ります。

その獅子頭が新調されて、初めて獅子組の元に訪れた時も、同じように綺麗な輝きを放ってたのかもしれません。

その当時の世代の方々も、新調された獅子を初めて振る時は、とても緊張したのではないでしょうか。

獅子頭が生まれ変わることで、世代を超えて同じ思いを共有できるというのも、なんだか凄いお話だなと思います(*^-^*)

 

※写真は、善通寺市の砂古獅子組さんの獅子舞です。昨年、長く使われていた獅子頭を綺麗にされたそうす。